「酒米へ続いた、受け継いだ稲作の30年」壱岐島で共創する米農家さんの想い①
親の代から受け継ぎ、稲作に携わって30年。
昔は牛で田を耕し、手で苗を植えるのが当たり前でした。
やがて機械化が進み便利になった一方で、山間の田では維持費や買い替えの負担が大きく、簡単に拡大はできません。
どれだけ安定した技術や施設があっても、高齢化や機械化で崩れたバランスを昔のような安価な米で支えるのは難しい。
だからこそ、昨今の米価の高騰は一つの転機なのかもしれません。
急激すぎる面はあるものの、「上がるべき時に上がらなかった米の価格が、ようやく見直される」のであれば、それは健全なことだと思うのです。
30年のあいだ、気候の変化を肌で感じながら稲作を続けてきました。
組合をつくり、信頼できる仲間と助け合いながら、自然に立ち向かってきました。
手が足りなければ貸し、逆に足りなければ借りる。
そんな当たり前の助け合いの積み重ねが、自分の稲作を支えてきました。
そして70歳を迎えた今、たどり着いた答えは「楽しむこと」。
重労働も、暑さも、楽しいと思わなければ続けられない。
楽しくないことも、楽しさに変えていく。
その心持ちがあるからこそ、日々の稲作に意味があり、喜びがあります。
そうして積み上げてきた先に、仲間から持ちかけられた「酒米づくり」の話がありました。
半生をかけて培ってきた稲作の経験を、今度は酒へとつなげていく。
そう思うと、不思議な縁を感じるのです。