兄の灯しつづける情熱

重家酒造 蔵を継いだ兄弟の物語


「いつかは戻るのだろう」——

そんなうっすらとした意識が、現実に変わったのは28歳の時。
母の病気と蔵の人手不足を前に、兄は都会での営業職を辞め、島へ戻った。
結婚したばかりだったが、家が回らないなら帰るしかない。
強い決意というより、ぼんやりとした予感を覚悟に変えたゆえの選択だった。

東京の大学を卒業し、酒造とは無縁の道を歩んできた彼に、酒造りの経験はなかった。
戻ってみると、蔵の設備は古く、販路は島内の売店に限られていた。
かつての仕組みは、時代の流れに飲み込まれ、すっかり機能しなくなっていた。
そこからは、製造も販売も帳簿も、すべてが手探り。
帳簿ミスが即、税金に直結する酒造の現場で、神経をすり減らしながら、ひとつずつ覚えていった。

「忙しいのに売れない」最初の5年。
それを支えたのは、自分の酒が「美味しい」と言われる瞬間だった。
焼酎ブームの追い風も重なり、少しずつ外の販路が開けていく。
気づけば、酒づくりに全身で向き合っていた。

静かに蔵を継いだ男の目標は、“守る”ことではなかった。
蔵を未来へつなぐには、変わらなければならない。
機械化を進め、人に無理のない仕組みを整えていく。

「昔のように寝ずに働く時代じゃない」と口にするその姿は、
山のように動かない父と、勢いのある川のような弟の間で、静かに佇む岩だった。
山の一部として生まれ、川の流れや気候の変化に少しずつ削られながらも、確かなかたちでそこに在る。
派手さはなくとも、地形そのものを形づくる存在。

その情熱は、目立たず、語らず、ただ黙々と火を灯し続けるようなものだ。
“伝統”を抱え込むのではなく、“生きた営み”として続けるために。
今日も、ひとつひとつ手を動かしながら、蔵を支えている。


重家酒造 蔵を継いだ兄弟の物語


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