冬の麦畑に、黒い旗が立つ理由 ― 壱岐の麦畑・冬 ―

冬の冷たい風が吹き荒ぶ、壱岐の島の麦畑。
そこに立ち並ぶ、無数の黒い旗は、
この島に住んでいれば、必ず目にし、心に残る光景だ。
門外漢から見れば、
それはいっそのこと芸術的で。
しかしそれは実際のところ、
長年にわたる“警戒”の風景の証である。
本来、壱岐の土壌は、粘り気が強く、肥料の持ちがよく、
麦の生育に適している。
しかし、予定外の雨が続けば、
その長所は一転して弱点に変わってしまう。
それが顕著に現れたのが、2年前の不作だった。
年明けから春先にかけて降り続いた冷たい雨は、
土の中の空気を奪い、根を弱らせ、
これまでにないほどの不作を引き起こした。
もちろん、手を打たなかったわけではない。
種まきの時期を遅らせ、
穂が出る時期を後ろへずらし、
雨の影響を避けようとした。
だが、穂を遅らせれば、
今度は別の相手が現れる。
――鴨である。
例年は、早播きで苗を強くし、
鴨害を避けていた。
しかし、遅播きのやわらかい麦は、
鴨たちの恰好の餌食になってしまう。
そこで登場するのが、無数の黒い旗だ。
壱岐の強い冬の風に煽られ、
音もなく、畑の中で揺れ続ける。
それは鴨たちを怯えさせ、遠ざける。
農家、農協、酒造。
この島で麦に関わる、
すべての人たちの記憶と判断が、
あの旗には込められている。
