壱岐の歴史

長崎県の北部にある壱岐島。古来より朝鮮半島と日本を結ぶ貿易の要衝とされ、「魏志倭人伝」や「日本書紀」にも登場する歴史のある島です。国境の島とも呼ばれ、平成27年には日本遺産も登録されました。また豊かな自然と穏やかな気候、滋養にあふれた土により、古くから漁業や農業が盛んに行われてきたといわれる実りの島です。さらにミネラルを多く含んだ水が多量に湧き、穀物が良く育つ壱岐は、麦焼酎の発祥の地ともされています。そんな壱岐島にて日本酒・焼酎を造っているのが当酒蔵「重家酒造」。大正13年、初代社長横山確蔵により創業しました。

「現代に左右されず、初心に返り原点に戻るべし」という初代の想いを継ぎながらも、最新の機械を導入し、進歩も忘れず酒造りを行っております。近年では島内での日本酒造りの復活に成功。壱岐焼酎だけではなく、日本酒にも力を入れ、尚益々盛んに、皆様へ美味しいお酒を届けていきたいと思っております。

壱岐の歴史

壱岐の酒造り

麦焼酎発祥の地とされる壱岐島。
島の文化として脈々と受け継がれてきた「壱岐焼酎」は1995年、世界貿易機関(WTO)のトリプス協定において、国際的なブランド「地理的表示の産地指定」を受けました。ウイスキーの中のスコッチやバーボンなどと同様に、壱岐で造られたものだけに与えられる世界的なブランドを手にしました。そんな壱岐島では過去に日本酒も造っていましたが、数々の事情により、いつしかそれも途絶えてしまいました。しかし、当酒蔵では「もう一度この土地で日本酒を造りたい」と、日本酒造りの再開を決意。有名酒蔵での修業、最適な水の探求、壱岐産山田錦の栽培など、数々の模索を行い島内での日本酒造りを復活させました。

酒造り.酒造り2

重家酒造の歴史

大正13年(1924年)
初代横山確蔵により創業日本酒『金世界』焼酎『菊白雪』『冨士の雪』を販売開始
昭和17年(1942年)
重家酒造合名会社 設立横山確蔵 代表社員 就任

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昭和31年(1956年)
長谷川小弥太 代表社員 就任
昭和40年(1965年)
銘柄変更 日本酒『金世界』を『冨士鶴』へ壱岐麦焼酎『菊白雪』を『雪洲』へ変更する
昭和46年(1971年)
福岡国税局管内 優等賞受賞(雪洲)これにより現在まで12回に渡り受賞
昭和50年(1975年)
横山省三 代表社員就任

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平成元年 福岡国税局関内局長杯受賞(雪洲)

平成元年(1989年)
福岡国税局管内 局長杯受賞(雪洲)
平成02年(1991年)
福岡国税局管内 局長杯受賞(雪洲)
平成22年(2010年)
シンガポール・中国・韓国で『ちんぐ』を商標登録
平成23年(2011年)
中国上海へ輸出開始海外(上海)初の特約店出店

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2014年サッカーW杯期間中ブラジル・サンパウロのnakata.net cafeで『ちんぐ』をPR

平成25年(2013年)
日本酒造りに携わり23年ぶりに日本酒復活特別純米酒『確蔵 Our Spirit(僕らの想い)』
平成26年(2014年)
重家酒造合名会社から重家酒造株式会社へ社名変更横山雄三 代表取締役社長就任中国北京へ輸出開始『純米大吟醸 横山50』販売開始九州S1グランプリ IN TOKYO準優勝受賞
平成27年(2015年)
元サッカー日本代表中田英寿氏プロデュース日本酒プロジェクト【SAKENOMY】に「純米大吟醸横山五十」が選ばれ、イタリアミラノで世界の方へPR
平成29年(2017年)
壱岐島での日本酒蔵建設に着手焼酎蔵では更に旨い焼酎を造る為に最新式設備を導入

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イタリアミラノで開かれた【SAKENOMY】で「純米大吟醸横山五十」をPR

蔵外観

平成30年(2018年)

新蔵完成

美味しい日本酒を造るためには、ミネラルが豊富で鉄分の含まれない水が必要だと言われています。さらに洗米や酒母造り、割水と、使用する水は膨大な量を要します。そのため、最適な水が豊富にでる水源を見付けるのは必須でした。そこで当酒蔵は島内をおよそ20ヶ所以上調査し、念願叶って素晴らしい水が潤沢に出る場所を発見。壱岐から世界へ向けて発信する日本酒を造るため、その場所に蔵を建設しました。

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